和田重正ご夫妻との出会い
2016年も残り少なくなってきました。
今年は、私の人生において大切な方がお二人お亡くなりになりました。
お一人は、小田原のはじめ塾、故、和田重正先生の純子奥様です。101歳で天寿を全うされました。
2011年に、月刊「くだかけ」に書かせていただいた記事がありますので、少し長くなりますが、ここにご紹介させていただきます。
*和田重正ご夫妻との出会い
和田先生との出会いは、今から43年前、大学卒業の2ヶ月前でした。
友人より「山あり花咲きて父母いませり」を紹介され読みました。今まで出会ったことのない、やさしさと、愛にあふれ、大きなものに包まれているような安らぎを感じました。
この感覚は、一体なんだろうと不思議でした。いのちの世界への第一歩でした。
2冊目に出会った「みんなで国に理想を」は小さな冊子でした。
比較的社会の問題を話題にする家庭に育ちましたが、先生の文章の中の、「平和を創るのは一人一人です」 との言葉に、
それまで平和と自分が別々のものに感じられていましたが、「平和を造るのは一人一人で、自分もその一人である」と気づき、平和と自分が一つになる瞬間でした。
本当に心の底から叫びたいような喜びが沸き起こり、夜は感動で眠れませんでした。
その後、生活と実践には多くの困難がありましたが、
いつもそこに立ち戻ることで、ここまで来ることが出来ました。
また、和田先生ご夫妻には、お仲人になっていただきました。
結婚式のあと、ご挨拶に伺った際、健康の話になりました。
その頃、私は胃下垂と肝臓の具合が悪い状態でした。
ちょうど和田先生ご夫妻が、野口整体の小田原道場にいらっしゃるとのことで、私達も連れて行っていただきました。
3つの予備運動をして、純子奥様が肩と背中に触れて下さいました。
大きな命の温かな気に包まれた瞬間、私の体の中から、首から手から背骨からものすごい動きが出始めました。
自分で動かしているのではなく、ダイナミックな体の中心からの動きです。
人間の治る力への感動と喜びに心の中で叫んでいました。
今でも忘れられません。
それが野口整体との出会いでした。
この体験がきっかけとなり、一人ひとりの中にある治る力を人に伝えたい気持ちが高まり、私の一生の仕事になりました。
本当に和田先生ご夫妻は、私たち夫婦の命の恩人であり、一生の師です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
今年は、私の人生において大切な方がお二人お亡くなりになりました。
お一人は、小田原のはじめ塾、故、和田重正先生の純子奥様です。101歳で天寿を全うされました。
2011年に、月刊「くだかけ」に書かせていただいた記事がありますので、少し長くなりますが、ここにご紹介させていただきます。
*和田重正ご夫妻との出会い
和田先生との出会いは、今から43年前、大学卒業の2ヶ月前でした。
友人より「山あり花咲きて父母いませり」を紹介され読みました。今まで出会ったことのない、やさしさと、愛にあふれ、大きなものに包まれているような安らぎを感じました。
この感覚は、一体なんだろうと不思議でした。いのちの世界への第一歩でした。
2冊目に出会った「みんなで国に理想を」は小さな冊子でした。
比較的社会の問題を話題にする家庭に育ちましたが、先生の文章の中の、「平和を創るのは一人一人です」 との言葉に、
それまで平和と自分が別々のものに感じられていましたが、「平和を造るのは一人一人で、自分もその一人である」と気づき、平和と自分が一つになる瞬間でした。
本当に心の底から叫びたいような喜びが沸き起こり、夜は感動で眠れませんでした。
その後、生活と実践には多くの困難がありましたが、
いつもそこに立ち戻ることで、ここまで来ることが出来ました。
また、和田先生ご夫妻には、お仲人になっていただきました。
結婚式のあと、ご挨拶に伺った際、健康の話になりました。
その頃、私は胃下垂と肝臓の具合が悪い状態でした。
ちょうど和田先生ご夫妻が、野口整体の小田原道場にいらっしゃるとのことで、私達も連れて行っていただきました。
3つの予備運動をして、純子奥様が肩と背中に触れて下さいました。
大きな命の温かな気に包まれた瞬間、私の体の中から、首から手から背骨からものすごい動きが出始めました。
自分で動かしているのではなく、ダイナミックな体の中心からの動きです。
人間の治る力への感動と喜びに心の中で叫んでいました。
今でも忘れられません。
それが野口整体との出会いでした。
この体験がきっかけとなり、一人ひとりの中にある治る力を人に伝えたい気持ちが高まり、私の一生の仕事になりました。
本当に和田先生ご夫妻は、私たち夫婦の命の恩人であり、一生の師です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。