ドキュメンタリー映画 「えんとこの歌」
1月5日 晴れ渡った青空の赤城山から、
前橋シネマハウス映画館にて上映されている「えんとこの歌」(遠藤さんの所という意味)を観に行きました。
このドキュメンタリー映画を制作した伊勢真一監督と、映画関係者であり私たち整体ライフスクールの仲間、水野裕子さんがいらっしゃいました。
主人公の遠藤滋さんは伊勢監督と大学時代からの友人で、学生運動も共にした仲です。遠藤さんは生まれた時仮死状態で生き返り脳性マヒの障害の人生が始まりました。
彼はいつも前向きで物事を明るく捉え次々と生き抜き大学で学び東京都で初めて障害者の教員採用第一号で教壇に立ち生徒と向き合います。
この生命力の凄さに涙がこぼれました。
しかしだんだん体が動かなくなり、35年間寝たきりの状態になってしまいますが彼は全て受け入れていつも全身で生きようとします。
彼を支えた介助者はのべで2000人。
支えるというより遠藤さんからの優しさや人を信頼し任せる姿、ありがとうの言葉から介助者の若者は逆に育てられてゆきます。
大学へ行っている時より生きているという実感がある。
いれずみの若者の優しい笑顔。
遠藤さんと介助者が一体となってそこにいのちの学校が誕生しています。
私は何度も涙がこぼれました。
私の母は100歳から104歳の4年間寝たきりになりましたが、家族のチームとヘルパーさん看護士さんに支えられ過ごしました。
笑顔でありがとうの姿は周りを照らし、部屋全体が幸せにあふれ輝いていました。
介護はやってあげているのではない。何倍も喜びや幸せを与えてくれる天からの贈りものと思えました。
教師だった母は寝たきりになっても私や孫を育て、ヘルパーさんや関わって下さった方達と心と心の交流がありました。
その母の姿と映画が重なり涙があふれました。
「えんとこの歌」素晴らしいドキュメンタリーです。
伊勢監督は20年前にも遠藤さんのドキュメンタリーを撮っていました。
2016年7月に相模原にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった元職員による入居者殺傷事件。
19人もの命が奪われ26人に重軽傷を負わせました。
犯人の犯行動機は「障害者はこの世にいても何の価値も無い」
監督はこの事件後、無性に遠藤さんに会いに行きたくなり、またカメラを回し始めました。
「障害者に何の価値も無いだなんてとんでもない。ぜひ遠藤の姿をみてほしい」
一貫して監督の伝えたい、人と人との心の交流、深い魂の叫びが聞こえます。
ぜひ皆さん観てください。そして人に薦めてください。
えんとこの歌
https://www.youtube.com/watch?v=dSmsmUnyaz4
「えんとこの歌」上映情報
https://www.isefilm.com/
上映情報/
アメリカミズリー州では雪の中500人もの人が上映を待っていてくれました。
ヨーロッパでも1回の上映に1000人から観てくれました。
「日本はラーメン屋(飲食店)に並んでもドキュメンタリー映画に若者は並んでまで観に来ない。
韓国も台湾も若者はドキュメンタリー映画を観ますよ。
日本は本当に孤立した島国になってしまった」
と帰りの車の中で監督が話してくださいました。
監督からのメッセージ
映画『えんとこの歌』に、35年間寝たきりで自分の足で歩くことが叶わなかった主人公の遠藤滋が、介助の若者達に連れられて故郷静岡の海に向かうシーンがある。そして若者達と一緒に海に入った遠藤が…
「海中に入れば不思議や出でざりし
右足前に軽く運べり」 (遠藤滋)
なんと、歩いたのだ。介助の若者達も撮影スタッフも驚き、そして悦んだ。何より当の遠藤の悦びようは、これ以上ないという笑顔だった。
そのシーンを編集しながら「自分の足で歩こうという思いを諦めなかった遠藤のように私は生きようとしているだろうか…」と思わないわけにはいかなかった。
すぐにフテクサレ、すぐにアキラメテしまう自分のことを思うと同時に、「浮力」のことも思った。
海の「浮力」が遠藤を歩かせているのだ、と。
私達の社会にもう少し「浮力」があれば、遠藤に限らず誰もが自分の足で歩く悦びのような「いのち」を、もう少し生きることが出来るに違いない。
では、「浮力」とは何だろう?
本当は政治こそが、「浮力」を創るナリワイなのだと思う。でもね…もう、ほど遠いよね今の政治は。
ひるがえって、映画は「浮力」と成りうるのか?
思い切って言わせてもらうと、映画『えんとこの歌』は、「浮力」そのもののような映画だ。
嘘だと思うなら、ぜひ足を運んで観てください。
街から遠く離れ、海があるように、「話題性」から遠く離れて、「浮力」を感じ取りに来て欲しいのだ。
私達の社会を「浮力」のある海にもどすことを、
映画『えんとこの歌』を観てイメージしてほしい。
(いせフィルムホームページ 「監督のつぶやき」2019年12月より)
前橋シネマハウス映画館にて上映されている「えんとこの歌」(遠藤さんの所という意味)を観に行きました。
このドキュメンタリー映画を制作した伊勢真一監督と、映画関係者であり私たち整体ライフスクールの仲間、水野裕子さんがいらっしゃいました。
主人公の遠藤滋さんは伊勢監督と大学時代からの友人で、学生運動も共にした仲です。遠藤さんは生まれた時仮死状態で生き返り脳性マヒの障害の人生が始まりました。
彼はいつも前向きで物事を明るく捉え次々と生き抜き大学で学び東京都で初めて障害者の教員採用第一号で教壇に立ち生徒と向き合います。
この生命力の凄さに涙がこぼれました。
しかしだんだん体が動かなくなり、35年間寝たきりの状態になってしまいますが彼は全て受け入れていつも全身で生きようとします。
彼を支えた介助者はのべで2000人。
支えるというより遠藤さんからの優しさや人を信頼し任せる姿、ありがとうの言葉から介助者の若者は逆に育てられてゆきます。
大学へ行っている時より生きているという実感がある。
いれずみの若者の優しい笑顔。
遠藤さんと介助者が一体となってそこにいのちの学校が誕生しています。
私は何度も涙がこぼれました。
私の母は100歳から104歳の4年間寝たきりになりましたが、家族のチームとヘルパーさん看護士さんに支えられ過ごしました。
笑顔でありがとうの姿は周りを照らし、部屋全体が幸せにあふれ輝いていました。
介護はやってあげているのではない。何倍も喜びや幸せを与えてくれる天からの贈りものと思えました。
教師だった母は寝たきりになっても私や孫を育て、ヘルパーさんや関わって下さった方達と心と心の交流がありました。
その母の姿と映画が重なり涙があふれました。
「えんとこの歌」素晴らしいドキュメンタリーです。
伊勢監督は20年前にも遠藤さんのドキュメンタリーを撮っていました。
2016年7月に相模原にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった元職員による入居者殺傷事件。
19人もの命が奪われ26人に重軽傷を負わせました。
犯人の犯行動機は「障害者はこの世にいても何の価値も無い」
監督はこの事件後、無性に遠藤さんに会いに行きたくなり、またカメラを回し始めました。
「障害者に何の価値も無いだなんてとんでもない。ぜひ遠藤の姿をみてほしい」
一貫して監督の伝えたい、人と人との心の交流、深い魂の叫びが聞こえます。
ぜひ皆さん観てください。そして人に薦めてください。
えんとこの歌
https://www.youtube.com/watch?v=dSmsmUnyaz4
「えんとこの歌」上映情報
https://www.isefilm.com/
上映情報/
アメリカミズリー州では雪の中500人もの人が上映を待っていてくれました。
ヨーロッパでも1回の上映に1000人から観てくれました。
「日本はラーメン屋(飲食店)に並んでもドキュメンタリー映画に若者は並んでまで観に来ない。
韓国も台湾も若者はドキュメンタリー映画を観ますよ。
日本は本当に孤立した島国になってしまった」
と帰りの車の中で監督が話してくださいました。
監督からのメッセージ
映画『えんとこの歌』に、35年間寝たきりで自分の足で歩くことが叶わなかった主人公の遠藤滋が、介助の若者達に連れられて故郷静岡の海に向かうシーンがある。そして若者達と一緒に海に入った遠藤が…
「海中に入れば不思議や出でざりし
右足前に軽く運べり」 (遠藤滋)
なんと、歩いたのだ。介助の若者達も撮影スタッフも驚き、そして悦んだ。何より当の遠藤の悦びようは、これ以上ないという笑顔だった。
そのシーンを編集しながら「自分の足で歩こうという思いを諦めなかった遠藤のように私は生きようとしているだろうか…」と思わないわけにはいかなかった。
すぐにフテクサレ、すぐにアキラメテしまう自分のことを思うと同時に、「浮力」のことも思った。
海の「浮力」が遠藤を歩かせているのだ、と。
私達の社会にもう少し「浮力」があれば、遠藤に限らず誰もが自分の足で歩く悦びのような「いのち」を、もう少し生きることが出来るに違いない。
では、「浮力」とは何だろう?
本当は政治こそが、「浮力」を創るナリワイなのだと思う。でもね…もう、ほど遠いよね今の政治は。
ひるがえって、映画は「浮力」と成りうるのか?
思い切って言わせてもらうと、映画『えんとこの歌』は、「浮力」そのもののような映画だ。
嘘だと思うなら、ぜひ足を運んで観てください。
街から遠く離れ、海があるように、「話題性」から遠く離れて、「浮力」を感じ取りに来て欲しいのだ。
私達の社会を「浮力」のある海にもどすことを、
映画『えんとこの歌』を観てイメージしてほしい。
(いせフィルムホームページ 「監督のつぶやき」2019年12月より)
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