サヘル・ローズさん
先日、ETV特集で、サヘル・ローズさんの番組を観ました。
以前、彼女の本に感動して、私の整体の本と手紙をお送りしたことがあります。
また2018年12月には、セミナーに参加されているMさんが彼女の出版記念会で、私の2冊目の本にサインとメッセージを添えて差し上げて下さいました。
「あなたの星を見つけてください」と書きました。
そのあと、Mさんは、サヘル・ローズさんのサインとメッセージ入りの写真集と詩集をプレゼントしてくださいました。
こちらがお返事のメッセージです。

今回の番組は、戦争や民族の紛争で難民となった人々に彼女が会いにいくというものでした。
子どもたちの施設や、家族を失くした女性のグループ、自分の国を出たために貧困となった家族たちなどを訪ねています。
女性のグループの方が言いました。
「今まで、多くの人が訪ねてきて、私たちの話を聞いて行きました。でもそのあと、何も変わらないのです。誰も助けてくれません。私たちはもう誰も信じられないのです」
自分自身のつらい体験も含め、サヘル・ローズさんは心から語り、話してくれた人を全身で抱きしめて涙を流し、そしてしっかりと女性の目を見つめながら言いました。
「私は今、あなたたちの苦しみをしっかり受け止めました。
必ず全世界に伝えます。約束します」
テレビを見ながら私も涙があふれてきました。
彼女は、自分の星に出会い、全力で生きていこうと歩き出しています。
いのちの存在に気づき輝いています。
命がけで彼女を救い、お母さんになってくれたフローラさんの深い愛が自分の中にも宿っていることに気づいたのだと思います。
サヘル・ローズさんの生い立ちと、フローラさんとの出会いについて、少しご紹介します。
サヘルさんは、イラン西部の小さな町に生まれました。
イラン・イラク戦争さなかの1989年2月下旬、国境近くにあった町はイラク軍の空爆により壊滅、13人の大家族の中で生き残ったのは末っ子のサヘルだけでした。
壊滅した町への救護隊ボランティア要員としてテヘラン大学から来ていた、後に養母となるフローラ・ジャスミンさんに救い出され、孤児院で暮らすこととなりました。
フローラさんは16歳になるまで祖母の元で育ち、小さい頃から「大人になったら恵まれない子供たちを救いなさい」と教えられ育ちました。
数年後孤児院でサヘルとフローラさんが再会した時、サヘルはフローラさんの事を「お母さん」と呼び、「お母さん」と呼ばれたフローラさんは自分がこの子を育てる、と決心しました。
裕福な家庭に育ったフローラさんは家族から孤児を養子にすることを大反対されました。
その反対を押し切りサヘルを養子に迎え、サヘルが8歳の時に家族と離れ日本に来ました。
しかし来日当初の生活は非常に貧しく2週間ほど公園でホームレス同然の生活を経験し、いじめにもあい死にたいと思いましたが
全てを捨て深い愛で育ててくれたお母さんに恩返しを出来てないことに気付きます。
そして生きようとします。
以前、彼女の本に感動して、私の整体の本と手紙をお送りしたことがあります。
また2018年12月には、セミナーに参加されているMさんが彼女の出版記念会で、私の2冊目の本にサインとメッセージを添えて差し上げて下さいました。
「あなたの星を見つけてください」と書きました。
そのあと、Mさんは、サヘル・ローズさんのサインとメッセージ入りの写真集と詩集をプレゼントしてくださいました。
こちらがお返事のメッセージです。

今回の番組は、戦争や民族の紛争で難民となった人々に彼女が会いにいくというものでした。
子どもたちの施設や、家族を失くした女性のグループ、自分の国を出たために貧困となった家族たちなどを訪ねています。
女性のグループの方が言いました。
「今まで、多くの人が訪ねてきて、私たちの話を聞いて行きました。でもそのあと、何も変わらないのです。誰も助けてくれません。私たちはもう誰も信じられないのです」
自分自身のつらい体験も含め、サヘル・ローズさんは心から語り、話してくれた人を全身で抱きしめて涙を流し、そしてしっかりと女性の目を見つめながら言いました。
「私は今、あなたたちの苦しみをしっかり受け止めました。
必ず全世界に伝えます。約束します」
テレビを見ながら私も涙があふれてきました。
彼女は、自分の星に出会い、全力で生きていこうと歩き出しています。
いのちの存在に気づき輝いています。
命がけで彼女を救い、お母さんになってくれたフローラさんの深い愛が自分の中にも宿っていることに気づいたのだと思います。
サヘル・ローズさんの生い立ちと、フローラさんとの出会いについて、少しご紹介します。
サヘルさんは、イラン西部の小さな町に生まれました。
イラン・イラク戦争さなかの1989年2月下旬、国境近くにあった町はイラク軍の空爆により壊滅、13人の大家族の中で生き残ったのは末っ子のサヘルだけでした。
壊滅した町への救護隊ボランティア要員としてテヘラン大学から来ていた、後に養母となるフローラ・ジャスミンさんに救い出され、孤児院で暮らすこととなりました。
フローラさんは16歳になるまで祖母の元で育ち、小さい頃から「大人になったら恵まれない子供たちを救いなさい」と教えられ育ちました。
数年後孤児院でサヘルとフローラさんが再会した時、サヘルはフローラさんの事を「お母さん」と呼び、「お母さん」と呼ばれたフローラさんは自分がこの子を育てる、と決心しました。
裕福な家庭に育ったフローラさんは家族から孤児を養子にすることを大反対されました。
その反対を押し切りサヘルを養子に迎え、サヘルが8歳の時に家族と離れ日本に来ました。
しかし来日当初の生活は非常に貧しく2週間ほど公園でホームレス同然の生活を経験し、いじめにもあい死にたいと思いましたが
全てを捨て深い愛で育ててくれたお母さんに恩返しを出来てないことに気付きます。
そして生きようとします。
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