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母里啓子さんの功績

昨年から日本も世界もコロナウイルスとワクチン接種が問題になっています。
私は野口整体に出会ってから50年薬を飲んだことがありませんので、もちろんワクチンは無縁です。
自然免疫細胞は思春期以降から徐々に弱くなると言われていますが、脊椎動物である人間は後天的な適応免疫(獲得免疫)がしっかりついてくることで、別の免疫システムが育つのです。
それはまさに野口先生が伝え続けて下さった野生の力を高め、生き生きと乗り越えてゆく道です。
しかし日本は、世界の2%の人口でありながら薬の投薬量は何と、世界中の42%を使用しているというのです。
農薬の使用も世界第一位。薬、農薬、ワクチンまみれです。

42年前、インフルエンザワクチンによって前橋市の小学5年生がけいれんをおこした事で、前橋医師会は立ち上がり、5年間のデータをまとめた「前橋レポート」を提出し厚生省を動かしました。
またカナダに日本から輸出したワクチンで無菌性髄膜炎が多発した時、「前橋レポート」をカナダに送り、カナダ政府を動かしました。
当時の「学校でのインフルエンザ集団接種は中止すべし」と厚生省を動かした医師たちの行動、勇気ある由上修三先生が思い出されますが、今その貴重な声はどこに行ってしまったのでしょうか?
日本人はお上信仰で大切な命に直結している事を忘れてしまうのか、本当に不思議です。
今こそ、思わず手が行く本能で心と体、社会が日本が健康になってゆくことを心の底から望んでいます。
私の講座でも14年前から紹介しています「インフルエンザワクチンは打たないで」の著者、元国立公衆衛生院感染症室長の母里啓子(もりひろこ)さんが、数日前にお亡くなりになりました。
母里さんは「前橋レポート」も紹介し、長年の勇気ある発言は大きな功績です。
ブックレット「打つ?打たない新型コロナワクチン」に載せられた絶筆の文章をここにご紹介させていただきます。母里さんは亡くなられる直前までコロナワクチンに悩む市民との対話に努めておられたそうです。
勇気と愛に合掌です。

ウイルス研究と感染症のこれからのためにいま問われていること
                    
母里啓子(元国立公衆衛生院感染症室長)


 2020年1月に日本で初めて新型コロナウイルス感染者が出た時から、高齢者への新型コロナワクチン接種が始まるまでの間、多くの人からどのように考えるべきかとの問い合わせをいただきました。ことに、呼吸機器系の感染症はうつることを制御できるものではないので、当初から、不顕性感染のあるものを防ぐことはできないために「放っておくしかない」と答えるしかありませんでした。
自然界にさまざまに生存するウイルスに対し人間ができることは限られています。科学的にデータをとり疫学調査を積み重ねることからしか何が出来るかは見えてきませんし、短期間での薬やワクチン開発はむしろ危険なだけです。
ウイルス株は地域と時間、感染者を経ながらで刻々と変化しており、とても追えるものではないのです。この1年で新型コロナウイルスについては多くのことがわかってきました。

1960年の出会い
 私とウイルスとの付き合いは、インターンの時に過ごした東京大学理学部生化学科の江上不二夫研究室での研究から始まります。当時の生化学は、ワトソン・クリックによるDNAの二重らせんの発見などで盛り上がっていました。
安保闘争などで日本が揺らいでいた1960年は新規の研究と激動する社会問題に出会った年でした。
 大学院で基礎医学、微生物学を専攻し、伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)で日本脳炎の発病病理などを研究テーマとして取り上げました。
 当時の日本脳炎は毎年数千人の罹患届けがあり、死者も千人前後出ていました。マウスの脳で増殖させた日本脳炎ワクチンはその精製度が低く、繰り返し接種すればアレルギー反応などで脳に障害を起こす可能性高く、実際に視神経の萎縮をおこす被害もありました。1963年に超遠心等での精製に成功し、より安全に使えるワクチンができたことを喜びました。
 しかし、その使用開始を決める国の会議で、「従来のワクチンの在庫が残っているため、きれいなワクチン接種を1年遅らせる(古いワクチンをうつ)という決定をされた」と、怒りながら恩師の野島徳吉さんが帰ってきました。子どもや接種者に及ぼす危険性よりも、在庫処理を優先させたのです。ワクチン行政に対する不信感を抱いた最初の経験でした。友人には新しいワクチンを待つようにしか言えなかったことがその後の活動に影響を与えていると思います。

ワクチン禍の実態
 ワクチンにより社会防衛できるとして行われたのが、1962年に学童へのインフルエンザワクチンの集団接種です。インフルエンザに罹患して重篤化するのは高齢者ですが、高齢者を守るために「盾」にされたのが学童です。1976年から臨時の義務接種となり接種率があがっていきます。感染拡大の源である学校を押さえれば、流行拡大を阻止できるという「学童防波堤論」です。何百人もの子どもたちが、校庭に並んで同じ注射器でワクチンをうたれ、いたずらっ子がもう1度並んで2回接種することもあるずさんなものでした。注射器を通じてのB型肝炎感染、発熱や脳炎、ひきつけを起こす子などが続出し、死亡や重度障害を負う事故も相次ぎました。しかし、被害実態も明らかにされず被害児を「特異体質」と責任転嫁して、さらに苦しめたのです。
 学童への接種が進む中で、乳幼児への接種も進みました。子どもがインフルエンザの予防接種により重い脳炎を負った吉原賢二さんが声をあげ、70年に「全国予防接種事故防止推進協議会」を発足、インフルエンザだけでなく予防接種による同じような被害の調査、家族の手記、雑誌『ワクチン禍研究』なども発刊させて、被害の実態を明らかにしていきます。
前橋データが明らかにしたこと
 インフルエンザ予防接種は国の臨時予防接種法により行われていましたが、1979年に前橋市の小学5年生が接種後けいれん発作を起こしたために、前橋医師会の予防接種委員会が検討を始め、前橋市予防接種健康被害調査委員会(調査委員会)への提言をだしました。厚生省(当時)の伝染病予防調査会は、真正てんかんであり予防接種が原因とは認めませんでした。調査委員会はこれを不満として市独自で救済措置を行いました。
 前橋医師会は発育期の児童、生徒に約30回にわたり異種蛋白のワクチンを接種すること、そして社会防衛の防波堤にしていることに疑問を持ち、その上で副反応と考える事例が発生したことで、以後インフルエンザの予防接種を中止し、前橋独自の報告書「前橋レポート」を作成しました。前橋市医師会は独自に1980年から「前橋市インフルエンザ研究会」を開催しており、市内小中学校の調査を続け、87年に「インフルエンザワクチンには流行を阻止する効果はない」という前橋レポートを出します。
 前橋レポートは、ワクチン中止の根拠となった論文ですが、今日でも世界にほこるデータです。ワクチン接種の前後で市および県の超過死亡は全く変化していないこと、十分に高い接種率の高崎市などの周辺の接種地域(以下接種地域)と比較しても、地域全体のインフルエンザ様疾患の発症に差異が認められないことを示しました(図1)。
前橋レポートについては、欠席率をエンドポイントにしたことについての批判などもありますが、
①インフルエンザ罹患を欠席率で評価するのは国際的にも有力な指標であること、
②前橋データの比較は発熱に加えて欠席かつ流行期に絞ったより厳密かつ多人数の比較であること、
③接種と罹患の相関関係が全くなかったことが明らかになっていること(図2)
④接種地域、非接種地域間での流行や超過死亡、医療費などの差を疫学的に見ている

など体系的なものです。しかもこれは5年間にわたって児童の血中抗体まで調べた貴重なデータなのです。このデータによりインフルエンザワクチンの社会防衛効果は否定され、現在も「重症化予防」効果を期待して接種がされているわけです。
横浜市で予防接種調査
 1976年から横浜市衛生研究所細菌課に勤務し、冬季はインフルエンザウイルスの分離や感染確認の血清検査に追われていました。ある学校医の先生がワクチンの流行防止効果に疑問を持ち、ご自身の担当の学校だけ接種を止め学級閉鎖を早めにすることで乗り切ろうとしました。周りの圧力により数年で接種再開になりましたが、それをきっかけに、横浜市全体の小中学校の予防接種率と学級閉鎖の関係を10年間調べました。その結果、全く相関がないことが分かりました。接種被害だけでなく、ワクチン効果さえ調査されていなかったのです。
 被害者や養護教諭、医師、研究者らの義務接種反対運動が功を奏し、80年代後半から接種率は落ち始め、94年に予防接種法が改正され、任意接種になったことで接種率が下がりました。

恐怖を煽る行政・企業
 科学者や医師はワクチンが万能でないことをよく分かっています。インフルエンザウイルスは季節や地域ごとに速い速度で変異を続け、ワクチンに感染を防ぐ働きはありません。重症化を防ぐと言われますが、その根拠となるデータも存在しません。健康な人は免疫に影響を与える病原体を入れない方が良いのです。
 94年に接種者数が30万人まで減ったことで、業界や政府が販売促進政策を展開します。乳幼児のインフルエンザ脳症(実際には非ステロイド生消炎鎮痛薬(NASIDs)が原因と疑われる)などで恐怖をあおり、また、高齢者施設でのインフルエンザによる死亡者数の増加が強調され、1999年からは高齢者のインフルエンザ予防接種が定期接種B類型(当時は2類型)として開始されました。現在の接種者数はなんと5千万人以上です。毎年1、2名の接種後の死亡報告がありますが実際にはどれほどの被害が出ているのかは不明。2020年には「コロナと重なる」と脅して6400万人分を増産し、接種しました。

命優先のカナダ政府
 また、89年にMMR(はしかおたくふかぜ、風疹)ワクチンの接種がはじまり、接種当初から無菌性髄膜炎などが多発しました。90年4月に前橋市内の医師たちが書いた「MMRワクチンが原因と考えられる無菌性髄膜炎について」『日本医事新報』という諭文も公にされました。
 日本はこのMMRワクチンをカナダに輸出したのですが、やはり被害が頻発したため、当時国立公衆衛生院に居た私にカナダ厚生省から問い合わせがありました。その日のうちに前橋の論文を日本語のままファックスで送ると、翌日には読んだと連絡があり、子どもには相応しないと2か月以内に販売停止に踏み切るのです。1つの被害がみつかると、もっと被害があるはずだと疑うカナダ、一方日本は、93年まで接種を続けました。命を最優先に考える姿勢の違いを感じました。

医療と教育は平等であるべきであり利潤追求してはならない
 私が医学部を卒業するのに必要だった学費は当時の国立大学の6年間の学費3万6千円でした。現在医師になるには膨大なお金がかかり、開業すれば検査設備を投入して、大赤字からの病院経営が始まります。
 医師と消防士は暇なほどよく、診療所や保健所が赤字なのは、喜ぶべきことです。医療と教育は社会化するべきで、「経営」をさせてはいけません。
私たちがいま向き合うべき相手は、ほんとうはウイルスではないのです。新型コロナで世界中が慌てふためいています。国はワクチンさえ打てば解決するかのように思いこませています。ワクチンで制御された感染症はほとんどありません。特に呼吸器系の感染症がワクチンで制御されることはありません。コロナ感染の恐怖がもたらす弊害も明らかになっています。ワクチンは介入です。自然の感染ではなく異物を強制的に体内に打ち込むことがどういうことなのか。
 ウイルスは30億年以上前から地球に存在していたと言われています。インフルエンザらしきものは古代エジプト時代から記録されていました。人間は自然との付き合いの中でインフルエンザ・ウイルスに対処しながら営々と生きてきたのです。たかだか70年未満の歴史しか持たないインフルエンザワクチンですら、感染を防ぐことなどできないことは歴史が証明しています。やっとできたとされる新型コロナワクチン。打つ/打たないの判断は個人の自由ですが、ウイルスとはこれからも共生していけば良いと私は思います。
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プロフィール

野村奈央

Author:野村奈央
1945年群馬県生まれ。玉川大学卒業後、野口整体の創始者、野口晴哉氏と出会い、最悪の健康状態から回復。以来、整体を研究、実践している。「整体ライフスクール」主宰、指導を続けている。現在は赤城山山麓に暮らし、無農薬の畑作りや深水法による稲作、ブナの植林など通じ環境問題にも取り組む。

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