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福島の原発事故から10年目の今
この3月、東日本大震災から10年目を迎え、福島の原発事故のことが改めてよみがえってきました。
あの事故のとき、所長の吉田さんを中心に50人の人たちが最後まで残り、命を張って守って戦ってくれていなかったならば、その後どうなっていたのでしょうか?
チェルノブイリ事故の10倍ともいわれる放射能で日本中は汚染され、私たちはこうして赤城にも住めず、東京の人たちも日本全国で住むところを失い、いかに多くの人々が一体どうなっていたのかと思います。
実際に福島の人たちは今も大きな影響を受け続けています。他人ごとではありません。
昇平先生は、2007年に出版された「国の理想と憲法『国際環境平和国家』への道」の中で、何かが起きた時の原発の危険性について、わかりやすく説明していました。
しかし、原子力関係の組織や政府には届きませんでした。
前橋出身で、私の中学の先輩でもある、原子力情報資料室の高木仁三郎さんは、すでに40年前に、前橋の街頭に立って、雨の日も風の日も原発の危険な事を訴え続けていました。
でも当時のほとんどの人たちは、まったく聞く耳を持たず、一切ピンと来ませんでした。
高木さんは、全国で講演を行い続け、1997年には、もう一つのノーベル賞といわれる、ライト・ライブリフッド賞を受賞しています。著書は多数ありますが、七つ森書館からは「高木仁三郎著作集」全12巻が出版されています。
日本の震災のあとに、ドイツははっきりと脱原発へと方向を変えました。しかし地震大国日本では、今だ決断がつかないまま、次にどの原発を再稼働させるか、という危険な状態です。
世界から見ても困った国です。
先日、東京新聞の記事に、「柏崎刈羽原発のテロ対策用検知装置が十ヶ所以上故障」とありました。
はたして、日本の子供たちの未来は一体どうなるのでしょうか。
どんな未来があるのでしょうか?
同紙、3月13日の記事では小泉純一郎元首相のコメントがありました。
「以前は自前のエネルギー資源のない日本は、原発を推進するのはやむを得ないと考えていた。でも間違いだった。政治に志があるなら脱原発しかない。自然エネルギー立国として世界のモデルになるチャンスだ!」
そのとおりです。
でもなぜ、もっと早く気づかなかったのでしょうか…?
命を優先する脱原発へ。
国際環境平和国家への道。
3.11 から10年目の願いです。
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コメント
No title
企業間競争の激化の中でエネルギーコストの低下圧力が加わり、電力各社は、耐震性や安全性にかかるコストの削減を行い、原発は益々危険です。昨年はチェルノブイリ原発事故による一番の被災地であるベラルーシでさえ原発が稼働してしまいました。未来は脱原発の道しかありません。
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