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花の記憶

先日、雑誌で伊集院静さんの連載を読みました。
彼は女系家族で、姉妹の真ん中に男児が一人だったそうです。

「女ばかりの所で育っていてはダメになる」とのお父さんの考えから、6歳から庭向こうの離れで独り暮らしをすることになりました。
そのとき、お母さんは窓辺に牛乳瓶を置いて花を活け、そして花に小紙を巻いてくれました。
彼が大学生になって上京し、野球部の寮に入った時もお母さんから段ボールで花が届いたそうです。

また、パリの常宿の女性マネージャーは、5月に街中で子ども達がアルバイトで売るスズランを部屋に活けてくれたそうで、パリの街からシャンソンが聞こえるような感じがしました。
そして鎌倉や京都のお店での花との出会い。

伊集院さんのことは、夏目雅子さんのご主人としか知らなかったのですが、今回の文章で彼と花との生活を知り、深く興味をもちました。

私のセミナーでは、いつもYさんが遠く千葉から御主人のHさんと庭の花を取って運んで下さってはきれいに活けて下さいます。
色とりどりの花とそれに合った素敵な花器が一体となり、いつも静かに語りかけてくるのを眺めながらの一服のおいしいお茶の時間は格別な空間のひと時です。

私の花との最初の記憶は子どもの頃、お手伝いのおばあちゃんが庭で育て、仏様にいつもお供えしてくれた思い出です。
子どもの頃は、紫陽花の挿し木をしたり、友人の家から花の苗をもらって育てるのが好きでした。

そして今は山の自然の中の花との暮らしです。

梅雨が明けて、小鳥とヒグラシの声。
夏の日差しに花々がひときわ輝いています。



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花の記憶

小学生の頃、学校の帰り道に野の花を摘んで帰った記憶が蘇りました。母にその花を渡したら、大変喜んでくれました。それから、母を喜ばせたくて、しばらくの間お花を摘んで帰ることが続きました。。いつか人の家に咲く花を摘んでしまい、怒られた記憶もあります。

大学を卒業するときに、恩師に手紙を添えて花を贈りました。その頃は房総にいましたので、千倉町のお花屋さんで見繕っていただきました。蕾の状態でしたが、恩師のところに届く頃には花が咲き、長い間楽しめたそうです。今は亡き恩師ですが、お花の記憶とともに、今再会して対話をしているような気持ちになりました。

いろんな場面でお花をいただいたり、贈ったりしました。思い出すと、これまでの出会いや、その時の会話、空気感など、いろんな記憶が蘇ってきます。

花の記憶

伊集院静さんとお花についてのお話が素敵で、
お読みしているとお花の香りがしてくるようでした。

奈央先生のセミナーではYさんが毎回心を込めてお花を活け、
先生がゆったりとお花を愛で、お茶を楽しまれる姿と空間が
美しいです。

お手伝いのおばあちゃんがお庭で育てたお花を
お供えされていた姿こそ仏様のように思いました。

まごころの一期一会のセミナーをいつも
ありがとうございます。

No title

 伊集院さんの花との生活、興味深く読みました。町田の友人宅に時々泊りがけで伺います。住宅に囲まれた1坪ほどの空き地に、毎年春に、EMぼかしを入れて、キュウリとトマトの苗を植え、支柱を立ててきます。
そして毎年、こまめに報告があります。「初収穫です。」「キュウリ6本も一人では食べきれません」など、写真を添えて。
狭い場所の小さな野菜に、たっぷりと気をかけてくださっていることがとてもうれしいです。今はお一人ですが、瓶に野の花が一輪さしてあったりします。
ご家族など幼少時の環境の中で育まれたお人柄がうかがえます。自然に優しさがにじみ出るものなのですね。
 
 先生は、セミナー後の切り花を最後まで愛でてくださいます。ありがとうございます。

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プロフィール

野村奈央

Author:野村奈央
1945年群馬県生まれ。玉川大学卒業後、野口整体の創始者、野口晴哉氏と出会い、最悪の健康状態から回復。以来、整体を研究、実践している。「整体ライフスクール」主宰、指導を続けている。現在は赤城山山麓に暮らし、無農薬の畑作りや深水法による稲作、ブナの植林など通じ環境問題にも取り組む。

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